漢方ノート

【はじめに】
 私が漢方を勉強するようになってから28年たちます。実家の薬品棚には津村順天堂の漢方薬の缶(昔は金属缶容器に入っていた)が何個もあり、子どもの頃から漢方薬は身近な存在に感じていました。
 また、私が歯科医師になったばかりのころ、勤務先に大学の口腔外科の教授が出張していて、漢方を口腔疾患に応用するのを見て、さらに興味が沸いたのですが、しかし、どうやって勉強すると良いのかわからなかったし(その教授も、さほど漢方に詳しいわけではなかったし)、応用範囲が意外と広いこと知らなかったため、しばらくは本格的に漢方の世界に入ることはありませんでした。
 私が歯科医師になって10年たったとき、転機が突然訪れました。あるとき、急に寒気がして「風邪をひきそうだな」と感じました。ちょうど、自分の歯科医院のスタッフが風邪をひいたときのために市販の風邪薬を常備していたので、その中から、何か飲もうと思いました。風邪薬は、スタッフに適当に購入させていたたため、何種類もあったのですが、ドリンクタイプの「ルル葛根湯」が目に入り、効きそうな気がしたので飲んでみたところ、30分くらいたつと寒気がなくなり、全く風邪をひかずに済みました。いつもなら確実に風邪になったはずなので、とてもびっくりしました。
西洋薬では絶対にできないことです。
こんな素晴らしい力があるのなら、他の多くの病気にも、漢方は大いに役立つはずだと考え、漢方の勉強をしていく決心をしました。勉強とは言っても、実地見学などができる機会もなく、独学が中心ではありますが、できるだけ学会や漢方薬メーカーの学習会等に参加するようにしました。私は普通の歯科医院をやっているため、漢方が患者さんの治療に役立つ機会は、そう多くありません。さらに、せっかく漢方が役立ちそうな症例に遭遇し、患者さんに漢方の服薬を勧めても、「すでにたくさん薬を飲んでいるから、これ以上飲みたくない」とおっしゃられる事も少なくありません。
 しかし、漢方はドクター本人や家族の病気の治療や健康維持に非常に役立つため、仕事ではあまり使う機会がなくても、一生懸命勉強する甲斐は大いにあります。

【異常発汗】
 知人(女性で当時60歳)が、ある病気で入院していた際に風邪をひき、大汗をかくようになりました。1日に何度もパジャマを着替えるほどの大汗で、主治医に「1週間は治らない」と言われて困っていて、見舞いに行った私に「漢方で汗を止めることはできませんか?」と聞いたのです。そこで私は、傷寒論にある「大いに汗出でて、熱去らず、内拘急し、四肢痛み、又下利厥冷して悪寒する者は、四逆湯之を主る」を思い出しました。四逆湯は漢方エキス製剤にありませんが、代用になると言われてエキス剤にある、桂枝加朮附湯が効くと直感しました。たまたまその知人はアフタ性口内炎で、私がいろいろ処方していたのですが、直前(2か月くらい前)に出していたのが桂枝加朮附湯であるのを思い出し「前回処方した漢方が、熱が出て汗が出るときに使うので、効くかも知れませんが、主治医に黙って勝手に出すわけにもいかないし・・・」と言ったところ「まだ残っているのが自宅にあるから、主人に持って来てもらって飲みます」と言うので、主治医に無断で飲むのを黙認したところ、翌日見舞いに行ったら、はつらつとした嬉しそうな声で「一晩で漢方で、すっかり治りました!」「内科の先生が『なんで急に治ったのだろう?』と、しきりに首をかしげていました」
 漢方は「慢性病に良い」「作用が穏やか」「効くのに時間がかかる」との誤解があるのが残念ですが、劇的に著効する例として、この経験をよく紹介しています。
 麻黄湯や大青竜湯(エキス剤だと桂枝湯+麻杏甘石湯)で発汗させ過ぎて汗が止まらなくなった際も桂枝加朮附湯を用いると良いでしょう。

【いぼ】
 いぼは不思議な病気です。ウイルスが関係するようですが、感染力は極めて少ないと言われています。
 いぼの治療法には暗示療法があります。科学が進歩した時代に迷信じみた話なんか、馬鹿馬鹿しいと思うかも知れませんが、皮膚科の教科書にも載っている、立派な治療法なのです。
 私は高校生のときから左膝にいぼがありました。大豆くらいのサイズで、20年以上、形状等が不変でした。痛くもかゆくもなく、何ら支障はなかったのですが、20年ほど前に口腔治療用レーザーを購入したので、試しに膝のいぼを除去しようとしました。最初はいぼにレーザーを照射したのですが、全然ダメでした。悔しくてやけのやんぱち!麻酔して根元からレーザーで切除しました。全切除したのだから、これできれいさっぱり、いぼともおさらばと思ったものの、3週間くらいで完全に元通りになってしまいました。まさに元の本阿弥でしたが、以前と全く同じ形状・大きさ・色調で、どこに形状記憶しているのか、不思議でたまりませんでした。
 それから半年くらいたったとき、たまたま皮膚科の教科書を見ていて、ふと、いぼのページに目が留まり、「暗示療法」が紹介されていることに気づきました。
 私が学生の頃、父が勉強会から帰るなり「いぼの治療は暗示療法が一番だそうだ」と言いました。私以上に迷信じみた話が大嫌いな父が、暗示療法が良いと言うなんて、意外に思ったことを思い出しました。皮膚科の教科書には暗示療法の詳細が書かれていなかったので、インターネットなどで調べると、茄子の蔕をいぼに付けるなど、いろいろあることがわかったので、近いうちにやってみようと思いました。すぐには実行せず、茄子の蔕以外の方法を調べるなどしていたのですが、1週間くらいすると、いぼが小さくなり始め、1か月でほとんど消失し、2か月後には跡形もなくなってしまいました。その後20年以上、まったく再発をしていません。暗示療法をしようと思っただけ(茄子の蔕を付けるのをイメージした)で十分、暗示効果があったということなのでしょう。本当にびっくりしました。62年間の人生で、これほど不思議な経験はありません。
 なお、のちにある皮膚科の先生にこの話をしたところ、いぼ取りに受診された患者さんで、いぼの治療に先立って水虫の治療をしていたら、いぼも治ったことがあるそうです。いぼを取ろうと思って病院へ行っただけで暗示効果があったということだそうです。そのドクターは、いぼの治療に液体窒素などを考えていたのでしょうけど、儲け損ねましたね。
 また、私は膝のいぼ以外に上腕に小さないぼができたことがあります。こちらはハト麦ご飯を食べているうちに治りました。ハト麦で治らなかったら茄子の蔕を付けようと考えていたので、ハト麦が効いたのか、暗示(茄子の蔕をイメージした)が効いたのか、両方が効いたのかは不明です。その後20年以上再発はありません。ヨクイニン湯や麻杏薏甘湯など、いぼに効く漢方薬もあるのですが、漢方を試す前に治ってしまって漢方を飲んだことがないのは良いようで残念な気持ちもあります。

【温服】
 漢方はお湯で飲むのが原則です。冷たい水で飲む人も少なくないようですが、効きが悪くなる恐れがあります。場合によっては全く効かなくなることもあります。特に風邪の際など、体を温め発汗させるような場合はお湯(ぬるま湯ではなく、やけどしない範囲でなるべく熱いお湯)で飲まなくては効きません。
 葛根湯や麻黄附子細辛湯などを服用すると熱が下がって楽になります。一緒に解熱剤を飲むと、せっかく漢方薬で体を温め発汗させようとしているのに、それを台無しにしてしまいます。解熱剤で熱が下がっても体が重い感じは残りますが、漢方で発汗させて熱が下がると急に体が楽になった感じがするものです。
 風邪以外でも漢方は温服が原則です。
ただし、止血や吐き気止め、咽頭痛などの際は冷服が良いとされています。
 また、温服は〇〇湯のように、「湯」で終わる名称の方剤の場合で、〇〇散・△△飲のように「湯」で終わらない場合は冷服で良いとも言われていますが、エビデンスがあるのかどうかわかりません。この点の研究がされるのを期待しています。

【嘔吐反射】
 嘔吐反射が強くて歯科診療に支障があるような患者さんは、ほとんどが舌が大きいことに気がつきました。嘔吐反射は水毒と関係があると考え、五苓散や苓桂朮甘湯を診療の前日から服用させるようにしたところ、ウソのように嘔吐反射がなくなりました。自慢するようですが、大発見でした。 それ以来、駆水剤を服用させていますが、ほとんどの患者さんが良く効き、まるで魔法でもかけたかのような気分になります。
プラセボ効果がかなりあるかも知れませんが、とても有用な方法だと自負しています。

過換気症候群
 半夏厚朴湯、香蘇散、柴朴湯などが良く使われますが、歯科治療を予定している場合、前日から服用させると予防できます。 下田先生は甘麦大棗湯を良く使うそうです。手術前の緊張を取るのには下田先生は四逆散が良いと述べてます。
 過換気は気逆のある人に多いようですが、気逆に対しては桂枝と甘草の含まれる方剤が良く使われ、当帰四逆加呉茱萸生姜湯、柴胡桂枝湯、苓桂朮甘湯なども過換気症候群に有効です。当帰四逆加呉茱萸生姜湯は、冷え性の方剤と言うイメージが強く、過換気にこれを使うのは意外に思うかも知れませんが、井齋偉矢先生はIBS過敏性腸症候群)にも使うくらい、ストレスから来る諸病に効くのです。柴胡桂枝湯は風邪の後期・遷延期に良く使われるため、こちらも意外な気がするかも知れませんが応用が広く、ストレスから来る諸病に使用される方剤です。また、柴胡桂枝湯は長湯できない体質向きとも言われています。長湯できないということは、のぼせ体質、つまり気逆であるので柴胡桂枝湯が合っているということになるわけで、長湯できない私に向いています。同様に気逆剤の苓桂朮甘湯も気逆から来る過換気に有効です。ちなみに頭痛などのためSSRI抗うつ薬)を毎日服用している人に苓桂朮甘湯を飲んでいただいてSSRIを廃薬できた人がいます。完全に廃薬できるまで時間はかかりましたし、柴胡桂枝湯や桂枝茯苓丸なども使ったりしましたが、大変喜ばれました。

顎関節症
 急性期には葛根湯も使います。その他、証によって桂枝加朮附湯、大柴胡湯、加味逍遙散などいろいろありますが(証に関係なく使用できる芍薬甘草湯もあります)、症状の強いときはエチゾラムデパス等)など、筋肉の緊張をほぐす西洋薬も使うのが早道です。
 何軒もの歯科医院を受診したものの、全く顎関節症が治らず、ある歯科医院では「これは治りません」と言われ、開口障害で食事もろくに摂れずに困っていた人にエチゾラムを処方して1服で著効したことがあります。本当は同時に葛根湯や芍薬甘草湯も服用してもらう予定でしたが、リモート受診の関係もあって先にエチゾラムだけ飲んで著効した次第です。「これは治りません」と言ったドクターは、治らないのではなく治せないのでしょう。
 エチゾラムは依存性などが問題になり、購入しづらくなったようですが、歯科ではこのように使用しますので、問題なく購入や処方をすることができます。

【風邪・インフルエンザ】
 私は昔、風邪をひきやすかったです。
最も辛かったのは1978年2月に罹ったソ連風邪ですが、実にタイミング悪く、大学受験で東京へ行っていた時でした。
横浜の某大学の筆記試験を終え、東京のホテルへ帰る途中、すごく寒く感じたのですが、後になって、寒かったというより悪寒だったとわかりました。
で、その翌朝、体がだるくてベッドから起き上がれません。その日は面接でしたが、とても行ける体ではないと、すぐに理解でき、あっさり受験を断念しました。大事な大学受験を簡単に諦めるほど重篤で体が動かず、ベッドから出られないのです。しかし、しばらくするとトイレに行きたくなったので、頑張ってベッドから出ようとしましたが、起き上がれないのでトイレまで少しずつ這って行きました。完全にほふく前進でした。50㎝這って、5分くらい休んでまた50㎝這ってという具合で、1時間以上かかってベッドとトイレを往復しました。でも回復は早く、午後にはお腹が空いて弁当を買いに外出したし、翌日は地下鉄に乗って、すでに受験を終えた別の大学(こちらが本命)の合格発表を見に行きました。幸い合格したので浪人はしないで済みました。悪寒が来た段階で葛根湯か麻黄湯でも飲んでいれば、そこまでひどくはならなかったのでしょう。親が葛根湯くらい持たせてくれたら良かったのにと、今になって思います。
 私が旭川の歯科医院で勤務していた頃(1986~91年)は、年に一度は38度を超える風邪でダウンし、勤務先や患者さんに迷惑をかけたものです。寝込んだ時は、大根のみそ汁と桃の缶詰くらいしか食べることができなかったものですが、漢方の世界に出会ってからは、そういうことはなくなりました。しかし2009年に新型インフルエンザが流行したときは少々ダウンし、1日だけ仕事を休みました。そのときは麻黄湯を中心に、何種類か飲みました。漢方がなければ、2~3日休んだのかも知れません。 その後は風邪をひきかけても漢方のおかげで、ほとんどひかずに済んでいます。
でも、数年に1回くらいは、軽くひいてしまうことがあります。最近では2017年4月に埼玉スタジアムコンサドーレの試合を見たのですが、風が強くて意外と寒く、少しひいてしまいました。
2021年3月にはJR九州の「ゆふいんの森」というリゾート列車に乗ったところ、新型コロナウイルス対策で換気を強めていて寒く、風邪をひきかけました。いずれも麻黄附子細辛湯(悪寒や発熱が軽いときや遷延したときは桂枝湯とハーフアンドハーフにして桂姜棗草黄辛附湯)や小青竜湯などが役立ち、仕事を休むほどではなかったし、食事が喉を通らないようなこともなく、漢方があることを大いに感謝しています。

新型コロナウイルス】         
 2021年8月に親せきが発熱し、軽度の喉の痛みがあり、PCR検査をしたところ新型コロナウイルス陽性となり、自宅療養を始めたというので、ステロイド錠と小青竜湯、小柴胡湯を飲んでいただきました。漢方はその後、十味敗毒湯に切り替え、最後は十味敗毒湯+柴胡桂枝乾姜湯+竹筎温胆湯にし、大事にいたらず回復しました。
 中国では新型コロナには清肺排毒湯が良いとされ、日本で売られているエキス剤だと麻杏甘石湯+小柴胡湯、または神秘湯+小柴胡湯加桔梗石膏で似たようなものになります。
 スペイン風邪の際、浅田宗伯の門下の木村博昭先生は、葛根湯的症状と小柴胡湯的症状の両方が見られる症例を多く目にし、そのような際は柴葛解肌湯を用いたそうです。1958年のインフルエンザは高熱が持続する症例が多く、麻黄湯、葛根湯、小柴胡湯などでは熱が下がらず、柴葛解肌湯が効いた症例が多かったと、矢数道明が著しています。柴葛解肌湯はOTCがコタローから出てますが、医療用製剤で同じようなレシピにするには葛根湯+小柴胡湯加桔梗石膏が良いでしょう。
以下のようにまとめてみました。
・初期  葛根湯・桂枝湯・麻黄湯・麻黄 附子細辛湯。その後は柴胡桂枝湯・桂麻 各半湯(桂枝湯半量+麻黄湯半量)
・熱がぶり返したり、悪心、食欲不振、舌 の白苔があれば小柴胡湯
・初期症状(葛根湯的)と遷延期症状(小 柴胡湯的)が混在している場合は葛根湯 +小柴胡湯加桔梗石膏
・口渇が強いときは白虎加人参湯
・長引いたときは竹筎温胆湯、柴胡桂枝乾 姜湯
・肺炎併発時は麻杏甘石湯+小柴胡湯(柴 胡桂枝乾姜湯)、神秘湯+小柴胡湯加桔 梗石膏
 森道伯はスペイン風邪の肺炎に小青竜湯 加桔梗石膏を用い、胃腸型なら香蘇散加 茯苓白朮半夏を用いた(エキス剤なら香 蘇散+六君子湯)。
一見、小柴胡湯麻黄湯の証(太陽病)に見えていても、高熱が長く続くときは真武湯、または真武湯に附子を加えるなど、強く発汗させるのではなく、温病的治療が良いでしょう。(傷寒論にある 太陽病発汗汗出後 其人発熱 心下悸 頭眩 身瞤動振振欲擗地 脈沈緊者 真武湯主之)
 高熱が1か月続いた患者に五苓散を出して3時間で死亡した例を藤平健先生が報告してます。大塚敬節先生は、40度を超える熱を出している6歳少女に小柴胡湯麻黄湯を処方したら瀕死の状態になり、真武湯+附子で救命しました。いずれも、高熱があるものの、「虚熱」の状態にすりかわったため、体を温める真武湯(+附子)や桂枝加朮附湯を用いるのが良いようです。

【葛根湯】
 落語に葛根湯医者があるくらい、葛根湯は最も有名な漢方薬だと思います。
冒頭で書いたように、私が漢方に目覚めたのも、葛根湯(ルル葛根湯)を飲んだのがきっかけです。しかし、私が40代になると葛根湯の効きが悪くなったように感じました。耐性ができたというより、年齢とともに虚証になったせいかも知れません。
そこで、風邪の初期は小青竜湯を飲むようにしましたが、それも50代には効きが悪くなり、麻黄附子細辛湯が効くようになりました。どんどん虚証になったのかもわかりませんが、麻黄附子細辛湯が良く効き、風邪をひきかけても、ほとんどひかずに済んでいます。寒気がしたとき・喉がいがらっぽくなったとき・くしゃみが連発したときなど、速攻で麻黄附子細辛湯を飲んでいます。落語では、どんな病気にも葛根湯を処方するわけですが、応用が広いのは本当です。ただし、虚証や高齢者などでは効きが悪かったり副作用が出たりしやすいと言われています。でも、下田先生はインフルエンザの90%は葛根湯で治ると言います。(5%は麻黄湯、残り5%は白虎加人参湯など)なぜ下田先生はこれほど葛根湯で治せるのか不思議ですが、鍼の併用や服薬指導や生活指導等、他の技量も上手で好成績を上げているのでしょうか。患者さんが「名医に診てもらった」と思うと治りが良いのかも知れません。
 葛根湯医者は藪医者だと考える向きもありますが、江戸時代の町医者は、柴胡のような高価な生薬を庶民に使うことはできず、ほとんどの疾患を葛根湯かその加減方(大黄、杏仁、朮、桔梗、黄芩、石膏くらい)でやっていて、高価な生薬が必要なときは有名な医者のところへ行ってもらったそうです。だから葛根湯医者の葛根湯は加減方も含めての葛根湯だったので馬鹿にする話ではないし、葛根湯医者は少ない生薬で何でも治す名医ではないかとも言われています。
 下田先生は、葛根湯と五苓散を合方すると、最強の利尿剤になると言います。
葛根湯で利尿なんて、思いつかないかも知れませんが、尿からだけでなく、皮膚からも水を出すということなのでしょう。その最強の合方は、下田先生は慢性蕁麻疹に良く使うそうです。
 また、加減方の葛根加朮附湯はツムラが出していないこともあってあまり知られていませんが(三和から出てます)、三叉神経痛に効果があります。神経痛の病名で保険適用になるので、口腔内の症状があれば歯科でも処方できます。「歯科保険適用は11方剤」とされ、葛根加朮附湯は11方剤に入ってませんが、このような例なら審査に通るはずです。葛根加朮附湯は帯状疱疹帯状疱疹後神経痛などにも効果があり、下田先生は「帯状疱疹は葛根加朮附湯がほとんど特効的に効く」と述べています。

IBS過敏性腸症候群)】
 私は月曜日の晩に下痢をすることが年に何回かありました。週末に美味しいもの食べ過ぎて消化不良を起こしたのだとばかり思い込んでいました。ところがある雨の夜に車を運転したところ、土砂降りの暗い道で視界が極端に悪く、極度の緊張をしたあと下痢をしました。そのときも、直前に食べたご馳走(にぎり寿司)が悪かったのかと思いました。でも、同じメニューを食べた人で下痢したのは私だけだとわかり、そのとき初めて「下痢の原因はIBSだったのだろうか」と疑いました。月曜の晩に下痢していたのは、月曜は患者さんが多く、ストレスの最も多い曜日だからと考えると、がってんです。私は中学時代に神経性胃炎で苦しんだ経験もあり、神経質な性格だから、きっとIBSに違いないと確信しました。
普段は桂枝加芍薬湯、げっぷが出たり腹痛のあるときは半夏瀉心湯、げっぷを伴わない腹痛には安中散、たまにはアクセントを付けて六君子湯などでIBSをコントロールするようにしましたが、現在は喘息のため、ほとんど仕事をしてないので、月曜下痢症候群は起こらなくなりました。

【漢方エキス剤の歴史】* 1 
  本来煎用されるべき漢方薬を簡便に用いる方法は、かねてより種々考案され、生薬の粉末を混合して服用するようなことは古くから行われてきました。(粉末をティーバッグに入れてお湯を注ぐ、振り出し法は現在でも用いられ、ツムラの中将湯がそうです。中将湯はツムラのロングセラーで、当帰芍薬散と桂枝茯苓丸を合方したような方剤です)
しかし大棗は粘り気が強くて粉末化が難しいため1942年に「漢方と漢薬」誌で煎じ液のエキスを乾燥・粉末化することが提唱され、1944年に国立東亜治療研究所でエキス錠の製造に成功したものの、戦争の激化で治験はできませんでした。1947年から武田薬品でエキス剤の研究が行われ、1956年に生薬エキスを配合した便秘薬(オートール糖衣錠)が発売されました。
 小太郎漢方製薬は真空減圧でエキスを脱水して赤外線乾燥・粉末化した業界初のエキス剤35処方を1957年に販売開始しました。当時は医療用/一般用製剤の区別がなく、医師への売り込みを図ったものの上手くいかず、主に薬局で販売されたそうです。薬価に載らないと医療機関では使いにくかったのかも知れません。薬価収載の医療用は1967年から販売開始しています。
 ツムラは1954年に中将湯糖衣錠を出し、65年から一般用エキス剤を出し、74年から医療用エキス製剤29処方を販売開始しました。76年に本格的に薬価基準に収載されたときには33処方になっていました。
 また、1950年に細野史郎先生の聖光園細野診療所が独自に院内エキス化を行い、煎じ薬と遜色ない効果があるとして、患者に投与するようになりました。細野診療所は現在でもエキス剤を自家製薬しています。

【漢方の保険収載】
 漢方エキス剤が健康保険で処方できるようになったのは1976年だとよく言われますが、正しくは1967年です。(生薬は1960年に薬価収載されているので、刻みを煎じるのなら1960年から保険でOKでした)
ただし1967年当時の薬価収載エキス剤はわずか4処方(葛根湯、十味敗毒湯、五苓散、当帰芍薬散)で、76年に大幅に増え、43処方になり、その後も追加されて147 処方になりました。ちなみに、治験を行わずに文献のみで薬価収載されたこともあり、武見太郎が政治力で保険に入れたと批判がありますが、漢方を普及させた功労者です。武見太郎はかつて自宅玄関に張仲景の木彫り像を飾っていたほど漢方薬を愛用していたそうです。漢方薬の保険外し論が何度も出ては消えていますので、また外す動きがあれば運動していきましょう。

【虚実】
 虚実の判定は簡単そうで難しいでしょう。自分自身はどうなのだろう。
教科書には良く「実証向き方剤」「虚証向き方剤」などが書かれていますが、「大柴胡湯は実証向き、小柴胡湯は中間証、柴胡桂枝乾姜湯は虚証向き」というのは間違いだと下田先生が述べてます。確かにそんな枠をはめてしまうと柴胡剤は使いにくくなってしまいます。風邪が遷延して柴胡桂枝乾姜湯を使いたくなったとき、実証の人だからと言って諦める必要はないのです。では教科書は皆、間違っていることになるのでしょうか。実証の人であっても風邪が遷延したときは「病態が虚証の状態」にあるのです。だから、教科書によってはあながち間違ではないのですが、下田先生のご指摘通りの本も多数あります。ツムラのポケット手帳も間違っていることになります。
 同様に四逆散は「小柴胡湯と大柴胡湯の中間」などと書いてある本がちらほら見かけますが(ツムラのポケット手帳にもそう書いてあります)そんなのを真に受けていては四逆散を使いたくても使える人は限られてしまいます。
 ただ、四逆散、大柴胡湯になるにつれ強い薬となり、長服すると副作用が出やすいということはあるので注意が必要です。

くも膜下出血
 歯科東洋医学会会長の柿木先生は2015年にクモ膜下出血を起こし、半年間入院されました。意識不明だった際、本人には聞こえてないだろうと思い、ベッドサイドで「もう助からないかも」などとしゃべった周囲の声は聞こえていたそうです。
 柿木先生は、倒れる前からそういう際は「脳浮腫や麻痺の予防に五苓散と桂枝加朮附湯を」と、家族や職場仲間に伝えていたのでそれを用いて意識を取り戻し、さらにリハビリ時の筋痛に対しては葛根湯を服用したので楽だったそうで、後遺症もなく回復されました。脳浮腫に五苓散は良く知られるようになりました。桂枝加朮附湯は、古来からカンフル剤のように使われた四逆湯の代用になる(四逆湯はエキス剤がない)方剤です。私も五苓散と桂枝加朮附湯を身近に用意し、いざという時に飲ませてもらうようにと考えてます。
【口腔がん】
 堀ちえみさんが口腔がんになったと報道された後、口腔がんではないかと心配して受診された人が二人いましたが、一人は明らかに外傷(歯ブラシが原因の可能性の擦過傷)。もう一人はアフタ性口内炎で、いずれもレーザー照射しただけの1回の受診で終わりました。
 口腔疾患には甘露飲と加減涼膈散が、古くから使われてきました。浅田宗伯の勿誤薬室方函口訣や大塚敬節先生の「症候による漢方診療の実際」に記載があります。 華岡青洲は舌癌に甘露飲を用いて著効したそうです。甘露飲はツムラからは出ていないのであまり知られていない方剤ですが、コタローから一般用医薬品(OTC)のエキス製剤が出ています。
 私は15年くらい前と5年くらい前の2度、口腔がん(舌癌と口腔底がん)の患者さんを診たことがあります。お二人とも(いずれも高齢男性)入れ歯が合わないという主訴でしたが、その原因は腫瘍のため、舌(舌根)や口腔底が膨隆して入れ歯が当たっていたのです。前者(舌癌)は見るからに癌だったし、後者は口腔底に硬結を触れ、経験したことのない感触だったので、おそらく癌だろうと直感しました。
どちらもかなり進行していそうだし、オペも抗がん剤放射線も、かえって死期を早めそうな気がして甘露飲を飲んでいただくのが最も余命を延ばすかも知れないと思いましたが、きちんと治療しないから手遅れになったと言われる恐れもあり、口腔外科を紹介しました。(前者は専門医受診を嫌がったのですが、生活保護を受給していたので役場の担当者に事情を説明して以後はお任せしました)
 その後はどんな治療をされたのか詳細はわかりませんが、残念なことにお二人とも1年も持ちませんでした。合掌。

【口臭】
 口臭は原因がいくつかあります。虫歯や歯周病が原因なら、その治療ということになります。唾液分泌が少ないのが原因であれば、麦門冬湯・五苓散・八味地黄丸・十全大補湯・柴苓湯など、漢方薬を考えます。意外と多いのが、薬剤性の唾液分泌減少で、高齢者には非常に多いです。普段、何を飲んでいるのか調べて、該当する薬剤があれば主治医に薬剤変更をご一考願う必要があります。

【合方】
 合方の是非についてはここでは述べませんが、柴朴湯(小柴胡湯+半夏厚朴湯)は小柴胡湯と半夏厚朴湯、別々のエキス剤を飲むと効果が低いと下田先生は述べてます。一緒に煎じないとダメということで、エキス剤ならツムラクラシエの柴朴湯を利用するしかないようです。柴苓湯(小柴胡湯+五苓散)、温清飲(四物湯+黄連解毒湯)など、他の場合は問題ないようです。

口内炎
 アフタ性口内炎は、西洋医学では根本的に治すことができません。パッチを貼るなど、対症療法しかできません。しかし、漢方だと体質改善をして、口内炎の発生を少なくすることができるので、非常にありがたいのですが、証に合った方剤でないと効かないため、なかなか合う方剤が見つからないこともよくあります。
 実証の男性なら、大柴胡湯で一発で決まることがよくあります。
 便秘があれば、その対策も必要です。(大柴胡湯は便秘薬も兼ねます)
 合成洗剤入りの歯磨剤の刺激も口内炎を起こすので、歯磨剤はせっけん歯磨きにすべきです。(大手メーカーの歯磨剤は100%、合成洗剤が入っています)
 液状ハミガキはさらに刺激が強く、厳禁ですが、口内炎を治そうと思って一生懸命、しみる刺激を我慢して液状ハミガキで洗口して余計ひどくなった患者さんを診たことがあります。口内炎の場合の問診で、歯磨剤のことを聞くのは必須だと思います。

【五十肩】
 家族や親せきの五十肩に二朮湯を処方したことがあります。お二人とも二朮湯が効いたように思いますが、効果が出るまで何週間もかかり、半年くらいかかってだいたい良くなりました。五十肩には二朮湯が定番で、これで決まりというように思ってました。実際、下田先生も多くの患者にこれを使うそうです。
 その後、別の知人が五十肩を患い、何か漢方がないでしょうかと言われ、二朮湯を飲んでもらおうと思ったのですが、そのときは在庫がなく、発注して届いてから二朮湯を飲んでもらおうと思いましたが、同時に腱鞘炎らしき症状もあったので、差し当たって在庫のある桂枝加朮附湯を飲んでもらいました。これが五十肩にも良く効いたんです。まあ、良く考えると当然とも言えるでしょう。以前、漫然と二朮湯を飲んでもらったのは失敗だったと反省しきりです。大柴胡湯の証の人なら大柴胡湯だし、神経質な人なら柴胡加竜骨牡蛎湯、急性期なら葛根湯など、選択肢はいくつもあるのです。はぎの内科クリニックでは疎経活血湯をよく用いるそうです。

【薬卸し】
 歯科医院は、鎮痛剤や抗生物質など、歯科で良く使う薬品は大手歯科材料店から買うこともできますが、漢方薬などはスズケン、ほくやく、モロオなどの薬卸しから購入することになります。しかし、なかには「歯科に漢方薬は販売できない」などと不可解な対応をする薬卸しがあると聞きます。歯痛に使う立効散のように、歯科でしか使うことのない漢方薬だってあるのだし、その他にも口内炎等に適用があり、明確に歯科で使用する漢方薬もいくつかあります。そのような対応があった際は私から卸へ販売するよう要請しますので連絡下さい。

【こむら返り】
 私はよく、こむら返りが起こります。寝入りばなに良く起こります。
仕事が忙しいと起こりやすいです。足を踏ん張る仕事をしているから、と言うと不思議な顔をされることがありますが、精密な仕事をするため、体がぶれないように足を踏ん張るのです。さらに、歯を削る際のスイッチはフットスイッチなので、右足は微妙なスイッチコントロールのため、筋肉は緊張を強いられるし、残りの左足で体がぶれないよう踏ん張るとなると、さらに足の筋肉は緊張します。
 こむら返りは、芍薬甘草湯が効きます。証に関係なく、誰しもこれが効きます。
また、旅行に行くと沢山歩くために高頻度で起こるので、就寝前に芍薬甘草湯を飲むようにしています。
 私は喘息があり、テオフィリンやプロカテロールを飲むと副作用で足がつることが多く、芍薬甘草湯のお世話になることが良くあります。
 サッカー選手が試合終盤によく足がつりますが、芍薬甘草湯を飲んでおけば良いのにと思います。ドーピングでひっかかるのかはわかりませんが。なお、麻黄はエフェドリンが入っていてドーピングにひっかかるので、葛根湯などはプロスポーツ選手は試合前に飲めません。エフェドリンは1885年(明治18年)長井長義が麻黄から単離抽出したくらい、麻黄に多く含まれます。

【下田憲先生】* 2
 北海道には本間行彦先生(北大前クリニックは2020年春に閉院)、日高徳洲会病院の井齋偉矢先生、新十津川町花月クリニックの辻和之先生など、漢方で有名な先生が何人もいらっしゃいますが、北海道で漢方の第一人者と言えば、南富良野町の下田憲先生でしょう。2013年に日本医師会のあかひげ大賞を受賞するなど名声は全国的にも良く知られ、兵庫県相生市の萩野先生は「下田先生は日本一の漢方医」と絶賛しています。2004年に歯科東洋医学会の大会が札幌で開催された際、下田先生にご講演いただきましたが、冒頭「私は歯科で漢方はどんな風に使われているのか存じませんが、おそらく今日ここにお集まりになられている先生がたは、利益よりも患者さんのことを第一に考えて漢方の勉強をされているのだろうと思います」
このお言葉に一同みな、感激したのは言うまでもありません。

【証】
 証に関係なく用いることができる方剤もあるものの、基本的に漢方は証に合ってないと効きません。前述の歯科東洋医学会札幌大会では本間行彦先生にもご講演いただきましたが、最初のお言葉が「漢方は良く効きます。しかし、証が合ってないと効きません」でした。
 私が漢方の勉強を始めたころの誤解を紹介します。次の3つの処方の生薬構成を、ご注目下さい。

葛根湯  ・・・・・・ 桂枝・芍薬・大棗・甘草・生姜・葛根・麻黄

桂枝加葛根湯  ・・・ 桂枝・芍薬・大棗・甘草・生姜・葛根

桂枝湯    ・・・・・ 桂枝・芍薬・大棗・甘草・生姜

桂枝加葛根湯は葛根湯から麻黄を抜いたものですから、胃腸が弱く、麻黄を含む方剤を飲めない場合に良いと、勝手に思い込んでました。しかし、麻黄は発汗させる作用があるため、葛根湯は発汗療法なのです。桂枝加葛根湯は麻黄を含まないため、発汗療法ではなく、桂枝湯と同じグループに入るのです。肩や首のコリに効く葛根が桂枝湯にプラスされているだけなので、桂枝湯と同じ証であり、葛根湯とは似て非なる方剤なのです。だから「桂枝加葛根湯(桂枝湯に葛根を加えた)」という名称なのです。もしも葛根湯と同じ証に使用できるのなら、「葛根去麻黄湯(葛根湯から麻黄を除いた)」という名称にしたでしょう。
 漢方方剤は、たった1味の加減で大きく薬効が変化するので、方剤がどんな働きをするのか良く理解をしなければなりません。権威のある本ですら、この私の思い違いと同じ間違いが書かれているので注意が必要です。
 ちなみに、桂枝人参湯は、人参湯に桂枝をプラスしたものですから、人参加桂枝湯という名称でも良さそうなものです。
しかし、桂枝を加えることによって作用(使用目的)が大きく変わるので、桂枝を強調したこの名称にしたのだと思います。方剤名は良く考えられているのです。
 なお、傷寒論を書いた張仲景が考案した方剤名は、苓桂朮甘湯、麻杏甘石湯、大黄甘草湯のように、構成生薬の羅列であり、葛根湯などの名称の方剤は、傷寒論の時代
以前からあったらしいです。(張仲景は薬味の多い方剤は考案しなかったのか?)

【食前・食間・食後、いつ飲むと良い?】
 漢方薬は食前に服用すべきなのか、食後に服用すべきなのかに関しては、牧野利明著「いまさら聞けない生薬漢方薬」がとても参考になります。漢方薬は食前投与が常識になっていますが、エビデンスはないようです。牧野先生によると、食前、または食間投与が広まったのは、大塚敬節らが書かれた「漢方診療の実際」に書かれているのが大きな影響を受けたものの、傷寒論では約200方剤あるうち、食前・食後の指示があるのは8方剤しかないそうで、また、神農本草経集注では、病が胸郭より上にあれば食後、心腹より下なら食前と書かれていて、医心方では病を治すには食前、養生には食後とあるため、大塚らの記述は古典からすると根拠はないようです。科学的な論説によって食前または食間が良いという説もあるものの、牧野先生は否定的考察をしておられます。科学的論説と言っても、机上の推論なので、実際に服用実験をしたわけではないし、結局のところまだ良くわかってないようです。食前・食間投与の一番の問題は飲み忘れしやすいことです。
それを考えると食後でも良いと思います。広瀬滋之先生は食後の指示をしておられます。私は1日3回の場合「朝・昼・晩」、2回の場合「午前・午後」というように、食事とは無関係に指示することが多いです。

【書痙】
 緊張などのために手が震えて字が書けないことを言いますが、かつて国会の証人喚問で、証人が手の震えのために署名ができず、ペンを飛ばしてしまったのが有名です。普段から字を書くことの多い速記者や教師に多いとも言われますが、ある歯科医師から、手が震えて診療ができないと相談があり、柴胡加竜骨牡蛎湯が著効しました。

【舌診】
 舌はじゃまなものとしか思ってない歯科医師が多いですが、歯科では必ず(舌診をせずとも)舌を見るし、しかも長時間観察することができるという、なんとも恵まれた環境にあるのです。舌を良く見るようにしましょう。ただし、下田先生は「外から来る病気に舌診は役立たない」と言います。特に風邪にはそうだと言います。でも、白苔があれば小柴胡湯というのはわかりやすい目安になるので、全否定はできないように思います。

【舌肥大】
 舌が大きいのは水毒だと言われています。でも、なんで水毒になると舌が大きくなるのでしょう?
水毒はむくむのだから、なんとなく当然のことを思ってましたが、あるときその質問があり、むくむからと返事したのですが「足がむくむのは細胞と細胞の間に水やリンパ液がたまるからわかるけど、舌はほとんどが筋肉細胞なんだから、足とは違うと思います。細胞に水がたまるのか、細胞の数が増えるのか? 詳しく知りたい」という質問には明確な返事ができませんでした。
今後解明されることを切望しています。 

【喘息と消化性潰瘍】
 私は喘息と十二指腸潰瘍・胃潰瘍を患っています。喘息は喘息の治療をし、潰瘍は潰瘍の治療をするのが西洋医学というのは言うまでもないことですね。
でも、漢方では必ずしも別々に考えないのです。もちろん、ピロリ菌が潰瘍の原因であれば、除菌療法が著効するだろうし、基本的に別々に考えても良いでしょう。でも、私の潰瘍はピロリ陰性で、ストレスが大きく関係しているようです。で、喘息もストレスが関係します。だからストレスを主眼に漢方治療を考えると、1処方で両方に効果が期待でき、一時は四逆散が効いていました。ただ、最近は喘息も潰瘍も悪化していて、漢方だけではダメなようです。いや、私の見立てが悪いのでしょうか。
最近は柴胡桂枝湯を飲み始めてみたところです。これが効くと良いのですが。

【煎じ薬とエキス剤の比較】
 「エキス剤なんか効かないよ。漢方は煎じでないとダメだ!」なんて言うドクターや薬剤師がいらっしゃいます。エキス剤は効きが悪いと書いてある本もあります。
 下田先生は、心不全に木防已湯を使う場合、エキス剤だと全然効かないそうです。
糖尿病に白虎加人参湯を煎じで出していたのをエキス剤に切り替えたら、ものの見事に全く効かなかったそうです。でも、エキス剤が効かないことばかりではありません。ある急性疾患では白虎加人参湯はエキス剤の方が効いたそうです。一般に急性疾患はエキス剤、慢性疾患は煎じの方が効く傾向があるそうです。また、煎じの方が副作用が出やすいそうです。教科書には良く麻黄の副作用が書かれていますが、それは煎じ薬の場合であって、エキス剤ではあまり起こらないそうです。あまり副作用が出なそうな補中益気湯ですら、下田先生は煎じで出す場合はハラハラし、最初は半量くらいで始めるとか。
さらに煎じ薬は耐性、特に麻黄に耐性が出やすく、服用しているうちに喘息に効きにくくなるそうです。リウマチに煎じの柴胡剤はかえって悪化させるそうです。
また、煎じだと患者さんによっては上手に煎じることができず、十分に成分が抽出されない可能性もあります。
このように、必ずしも煎じの方が優れているわけではないので、エキス剤を軽んじるような考えは浅はかというものでしょう。

【中国語】
 漢方は多くが中国の書物に由来しているため、中国語の癖を知っていないと誤解してしまうことがあります。
「手紙」は中国ではトイレットペーパーの意味であるなど、日本と中国では同じ漢字でも意味が違うことがしばしばあるのは知られています。
「黙黙」は、日本語の「黙々」とは全く違う意味で、文字通り、黙って何もしない様を言います。傷寒論小柴胡湯の所で「黙黙として飲食を欲せず」というのがありますが、黙黙が「一生懸命」の意味だったらおかしな文章になってしまいます。「時時」も、日本語の「時々」とは全く違い、持続的なことを言います。金匱要略に「時時発熱」という文言がありますが、もちろん持続的な発熱という意味です。「多少」は、日本では「少々」と同じ意味ですが、中国語では「どれほど?(How much)」という意味になります。(多いのか少ないのかという、これも文字通りなのでしょう)
こう考えると、中国ではだいたい漢字の意味通りなのでしょう。でも「飯店」は日本の方が漢字の意味通りでしょうか。
 余談ですが笑い話で、中国人が日本のバスに乗った際「毎度ご乗車有難うございます」を見て「毎回乗ると難がある」と思って恐ろしいと感じたとか。

虫垂炎
 ある漢方の重鎮の先生が、あるとき奥様が虫垂炎になられたそうで、奥様は、オペしないで漢方で治せないかと希望され、大黄牡丹皮湯を服用させたら治ったそうです。これを聞いた時は、自分や家族が虫垂炎になった際は、大黄牡丹皮湯を試そうと考えたのですが、大黄牡丹皮湯が効く証なのか、見立てを誤る恐れもあるし、手遅れになって大変なことにならないよう、しっかり検査・診断をした上でないと危険でしょうから、それはしない方が良いのでしょう。私が小学生のころは虫垂炎が多く、しょっちゅう同級生が入院していましたが、中学に入ったころから急速に少なくなりました。なぜ減ったのかは良くわかってないようですが、父の話では、少ないおかずで沢山の米飯を食べる食生活が悪かったと言ってましたが、本当にそれが原因なのか疑問です。父は1950年まで旭川の病院(新型コロナクラスターで陽性者数日本一になって有名な病院)に勤務していましたが、朝日町(現・士別市)の町立病院へ招聘されました。当時、朝日町は、冬期間は鉄道(士別軌道)が雪のため運休になり、士別軌道の乗り合い馬橇しか士別への交通手段がなく、緊急オペが必要な患者が出た際は馬橇で士別の病院へ搬送していたのですが、虫垂炎の患者が多く、20㎞離れた士別までの馬橇搬送は大変なため、朝日町内で虫垂炎のオペができるように外科医の父が赴任したのです。ところが、赴任してみたら、ほとんど虫垂炎の患者はいなかったそうです。士別の病院は虫垂炎だとウソの診断をして治療費を荒稼ぎしたのか、ほんのちょっと虫垂炎の疑いがあっても、良かれと思って念のために切ったのかはわかりませんが、必要のないオペが多かったのだろうと父は話してました。その後、父は栗沢町(現・岩見沢市)で開業し、まもなく国民皆保険が導入されましたが、国保導入当初は一部負担金割合が5割でした。(世帯主は1961年から3割、世帯員は1968年から3割)当時は貧しい農家が多く、国保に入ったものの、5割負担では負担が重く、腹痛があっても簡単には受診せず、いよいよ虫垂炎がひどくなってから受診するものだから手遅れになって命を落とす人もいたそうです。戦後15年以上たったという頃に虫垂炎で命を落とすなんて、とても残念に思います。やはり、安心して医療を受けることのできる体制は重要だと思います。

 【華岡青洲
 世界中で医学生が学ぶ麻酔学の教科書の筆頭に、麻沸散(通仙散)による世界初の全身麻酔(1804年)を行った青洲のことが大きく載っていて、青洲は世界的に知られています。実際は後漢時代に中国で華佗全身麻酔を行っているし、インカ帝国でコカを用いた麻酔が行われ、琉球でも青洲よりも前に全身麻酔が行われていたらしいのですが、きちんとした記録が残っているのは青洲が世界で初めてなのです。
 ちなみに琉球で1689年に高嶺徳明が全身麻酔で口唇裂の手術をしたらしく、その弟子が伝授書を青洲に渡したという説があります。
 麻沸散による麻酔は1898年(明治31年)頃まで熊本で行われていたそうです。
 青洲の研究者である弘前大学名誉教授の松本明知先生が青洲の生涯を日本臨床麻酔学会誌に記されています。*3  
そこでは、「外国の方から日本の麻酔学の先駆者である華岡青洲のことを尋ねられて、何も返答できなければ、もはや相手にされない」とあります。
 青洲は基本、オランダ流医学を学んだ外科医ですが、漢方でも十味敗毒湯や紫雲膏を考案するなどの大きな功績があります。
 十味敗毒湯は1967年に漢方エキス剤が初めて薬価基準に収載された際のわずか4処方のうちの一つでもあるくらい、重要な漢方薬で、皮膚病に使われる漢方薬の代表的な方剤であるし、風邪にも応用され、新型コロナウイルスに著効があったという報告もあります。*4  元は荊防敗毒散であり、日本で入手しやすい生薬で再構成したのが十味敗毒湯ですが、原方以上に効くとも言われていて、青洲の功績は非常に大きいでしょう。私の家庭でも服用することは良くあり、青洲に大いに感謝しています。
 私は2016年に和歌山県の青洲の里へ行ってきました。ご子孫が大事に青洲の遺品を保存しているので様々な展示物を見学することができます。青洲の時代はゼンメルワイスやリスターが感染予防を提唱する前で、西洋では外科手術後に多くの患者が不衛生な手術が原因の感染症で命を落としたし、ゼンメルワイスが勤める大学病院も不衛生で、解剖室から出て十分に手を洗わずに産婦人科病棟に入ったため、多くの妊婦が産褥熱で命を落としましたが、青洲は衛生的に外科手術を行ったし、汚水で院内が汚染されないよう浄化槽を考案したことなどを青洲の里で見ることができます。感染予防の概念を、1000人以上もの門下生を通して全国に広めたのだろうと思います。
青洲の里は和歌山市から電車で40分くらい、関空からは1時間半くらいですから、是非一度行かれることをお勧めします。
 実は私は小中学生の時、近所に華岡小児科があり、院長は青洲の子孫で、その娘さんとは同級生でした。彼女は現在、札幌で医師をしておりますが、麻酔科の医師だそうです。麻沸散は使ってないと思いますが。

【冷えのぼせ】
 私も冷えのぼせです。手足は冷えるのに首から上が熱い状態で、気逆があると起こりやすいため、柴胡加竜骨牡蛎湯・苓桂朮甘湯・四逆散・当帰四逆加呉茱萸生姜湯・桂枝人参湯などを用います。(桂枝を含む方剤が多いです)
意外と冷えのぼせの人は多いようです。
一種の冷え性と言えるのですが、本人は冷え性だと自覚することはほとんどないため「冷え性ですか?」という質問をしても「ノー」の答えが返ってくるのがほとんどなので、問診は注意が必要です。

【頻用処方】
 大塚敬節先生は八味地黄丸、大柴胡湯、柴胡桂枝湯半夏瀉心湯が四大常用方だったそうです。松田邦夫先生が大塚先生に「君は何を良く処方するのだね?」と聞かれ、「大柴胡湯」と答えたら褒められたとか。ところが下田先生は大柴胡湯は年に1度か2度しか使わないそうです。この違いが出るのはなぜでしょうか。患者層の違いなどもあるでしょうけど、この差は不思議です。
なお、生産量ランキングでは1位大建中湯2位抑肝散、3位補中益気湯、4位六君子湯、5位加味逍遥散などとなってますが(巻末参照)小柴胡湯は55位で、以前慢性肝炎に多く使われ、間質性肺炎を起こして問題になったとはいえ、もう少し活用して良いように思うのですが、漢方にあまり詳しくないドクターも積極的に漢方を活用し、大建中湯や補中益気湯六君子湯などが上位に来るのだと思います。

【腹診と脈診】
 日本漢方では腹診と脈診は重要な診断手段です。しかし歯科医師がその訓練をする機会は乏しいし、また、脈診はまだしも、腹診を歯科医院で行うのは難しいことでしょう。下田先生は「インフルエンザを1000人くらい診ると葛根湯の証の脈がわかります」とのことですが、これは歯科医師には無理でしょう。中医学を勉強される歯科医師が多いのは、中医学では腹診を重視しないからかも知れません。(傷寒論の時代は中国でも腹診を用いていましたが、現在はあまり用いられていないようですが、しかし最近になって再評価の動きがあります)
だからと言って漢方薬を使用することを断念することはありません。薬剤師だって腹診はできないけど販売しています。医師でも腹診をやってなくても(わからなくても)できる範囲で漢方薬を処方されている人は大勢おられます。証に関係なく処方できるケースもあるし、また、比較的簡単に証を見極めることのできるケースあるので、できる範囲で漢方薬を使えば良いのです。

【賦形剤】
 メーカーによっては賦形剤に乳糖を用いてますが(ツムラクラシエ、テイコク等)、トウモロコシデンプンを用いているメーカー(東洋薬行等)もあります。
 乳糖は乳糖不耐性の人には下痢などを起こしますが、漢方の賦形剤として使用する量は少ないので(ツムラでは1包に牛乳約15~40mlに含まれる乳糖量)、実際に下痢を起こすことは少ないようですが、できれば乳糖を使用しない製剤を用いる方が良いと思います。
 ある学会で、ある漢方薬の効果を調べた実験報告があったのですが、使用したのはツムラの製剤だったので、プラセボには乳糖を使用する必要があるのに使用していませんでした。漢方エキス剤に賦形剤が使用されていることをご存じなかったのでしょうか。賦形剤の他にもステアリン酸マグネシウムなどの添加物が使用されています。

扁桃炎】
 次女は毎年数回も扁桃炎を起こしていました。そのたびに高熱が出て苦しんでいてかわいそうでした。そのため、25歳の時に扁桃摘出手術を受けることを考えていたのですが(1週間、入院が必要だとか)、まずはダメ元で漢方で体質改善を計り、それでもダメならオペしようということにしました。最初にアレルギー体質改善の定番である小柴胡湯を4週間。次に本命の荊芥連翹湯を3週間(いきなり本命を使用しないのは褒めていただけるでしょうか)。
また小柴胡湯を4週間。その次はもう一つの本命の柴胡清肝湯を3週間。これらを2クール(合計28週間)、約半年間飲んでもらいました。(柴胡剤は高額ですが、1万円程度で済みました) それ以来この2年間、全く扁桃炎を起こしてなく、めでたくオペしないで済みました。これで効かなければ十味敗毒湯を考えてました。体質が変わったら廃薬しても効果が続くのは漢方の特徴ですが、これほど完璧に効くとは本当に嬉しい限りです。もっと早く飲ませたら良かったです。

【寝汗】
「寝汗をかきますか?」で、イエスの回答の人に、よくよく聞くと、単に布団が多かった(厚い布団だった)とか、厚着だったという事があるので注意が必要です。そういう人は、本当の寝汗をかいたことがないのでしょう。実際、ドクターでも寝汗というものを知らず、単に睡眠中の汗かきだと誤解している人がいます。寝汗は、別名盗汗とも言いますから、その用語の方が良いかもわかりませんが、多くの一般人にとっては知らない用語でしょうし「ひどい寝汗をよくかきますか?」という言い方が良いのでしょうか。私はよく寝汗をかきました。体調が悪いときや疲れているときなど、寝入りばなにぐっしょり汗をかき、気持ち悪くて目が覚めてしまいます。眠いし体が重くてだるいけど、気持ち悪いのでシャワーをして、再び床に入ったものです。下手すると、一晩に二度も寝汗で目が覚め、2回もシャワーということすらありました。開業して忙しかったころに寝汗がひどくなったのですが、まもなく、漢方の勉強を始めたので、風邪をひいた時(ひきかけた時)や、喘息、十二指腸潰瘍などを治すためにいろいろな漢方を飲んだのが良かったのか、すっかり寝汗をかかなくなりました。寝汗には桂枝湯や黄耆建中湯、虚弱体質の場合は十全大補湯補中益気湯、人参養栄湯、ストレスが原因の場合は柴胡桂枝湯柴胡加竜骨牡蠣湯、柴胡桂枝乾姜湯などを用います。一度体質が変わると、服薬をやめても再発しないのが漢方の特徴です。異常発汗のところで書きましたが、西洋医学で汗を出したり(風邪の際の発汗療法)、止めたりすることはできないため、医師が回答するよろず相談などで寝汗の相談があっても自律神経などが関係するなどと言いながら結局、明快な回答ができていないのを見かけることがあります。漢方で治せることを広く知っていただきたいものです。

【乗り物酔い】
 私の長女は非常に乗り物酔いしやすいのですが、五苓散が良く効きました。
私も乗り物酔いする方です。幼児の頃で記憶にありませんが、車で出かけると、ほんの1~2分で「酔った」と言って、しばしば自宅にUターンして私を降ろして祖母が子守をし、両親が出かけ直したそうです。(当時は田舎なので砂利道ばかりで揺れたせいもあります。当時は実家にはベンツのような良い車もなく、せいぜい新型コロナでした。新型コロナといっても今、流行しているウイルス病ではなく、トヨタのニューコロナです)
物心ついた頃には車酔いはしなくなりましたが、船酔いはしました。慣れもあるので、学生時代にはだいたい克服しましたが、今でも旅行から帰ると、1日くらいは身体動揺感があります。鉄道マニアなので、列車にたくさん乗ることが多いのも体が動揺する原因で、旅行中は苓桂朮甘湯を飲むようにしています。私は気逆があるので、五苓散よりもこちらの方が効くようです。

【薬草園】
 全国各地に薬草園があるので是非、機会を作って見学に行ってほしいと思います。私が行ったことのあるのは、名寄市にある薬用植物資源研究センター、当別町北海道医療大学薬用植物園、東京の小石川薬園、東京の小平市にある東京都薬用植物園、富山市にある富山県中央植物園、富山県上市町にある富山県薬用植物栽培指導センター、岐阜県各務原市にある内藤記念くすり博物館の薬草園、佐賀県鳥栖市にある中富記念くすり博物館の薬草園などです。
美深町に立派な薬草園があったのですが縮小され、現在はハーブ園などを残すのみです。以前の名寄市立病院の院長が漢方に造詣が深く、廃校になった出身小学校(厚生小学校)の校庭跡を薬草園にしたものですが、校庭(グラウンド)だった土地が悪かったのか、苗を植えても次々と枯れてしまったそうです。京都市にある武田薬品の薬用植物園と、高知市にある県立牧野植物園は2020年に行く予定をしていましたが、コロナ禍でキャンセルを余儀なくされました。2022年に行くことを考えています。

【薬用量】
 現在の漢方薬の規定量は、現在よりも日本人の体格が小さかった時代に考え出されたものですから、効きが悪い場合は適宜増量を図るべきでしょう。特に風邪の際に服用しても発汗しない場合は発汗するまで、寒気が取れない場合は寒気が取れるまで、迅速に追加服用する必要があります。下田先生は風邪の時の葛根湯や麻黄湯、桂枝湯は体重40㎏の人なら常用量、60~80㎏の人なら1.5倍から2倍にするそうです。逆に慢性疾患なら 1日3包のところを2包に減らすことが可能なこともしばしばあり、適宜増減を考えるべきです。また、一般用医薬品OTC)の場合は医療用のものよりも量が少な目なので注意が必要です。

【腰痛】
 以前、私は腰痛がひどかったときがありました。朝から痛いのは五積散、夕方くらいから痛いのは八味地黄丸、ストレスから来るのは柴胡桂枝湯と、某先生から教わったので五積散、次に柴胡桂枝湯を飲んでみたのですが、どちらも全然効きません。
それもそのはずで、私の腰痛は十二指腸潰瘍から来ていたので、潰瘍を治さないと腰痛が治るわけありません。現在はファモチジンガスター)などを服用しているので、あまり腰痛はおきません。(ストレスから軽い腰痛が起こることはたまにありますが、安静にすれば直ぐに解消します)
潰瘍を治すために四逆散なども飲んでみたのですが、残念ながら漢方では十分効かず、ファモチジンでないと効きません。
漢方が効かないのは私の見立てが悪いせいもあるでしょうか。

【旅行に持参する方剤】
 旅先で具合が悪くなったときのために最低限持参するのは麻黄附子細辛湯、小青竜湯、苓桂朮甘湯、五苓散、桂枝加朮附湯、芍薬甘草湯、桂枝加芍薬湯、半夏瀉心湯です。下田先生は飛行機内での急病人対応などのため、鍼や酒精綿の他、葛根湯、桂麻各半湯、葛根湯加川芎辛夷芍薬甘草湯、五苓散を持って行くそうです。私が持参するものは胃薬系を除くと下田先生のと似ています。(葛根湯が麻黄附子細辛湯、葛根湯加川芎辛夷が小青竜湯など微妙な違い)
 余裕があれば葛根湯や参蘇飲、安中散なども旅行に持参しています。

【最後に】
 2019年に急に喘息がひどくなって以来、診療はほとんど行っていません。入れ歯修理や仮歯作製に使うアクリルモノマーや充填剤のプライマーの溶剤のアセトン等の有機溶剤や、歯を削る粉塵などによる職業性喘息なので復帰は困難です。休業補償に入っていたのは幸いです。ちょうど60歳になった年だったので年金基金が入り始めたところだったし、不動産収入も喘息がひどくなるわずか2か月前から入り始めたという、本当にラッキーなタイミングでした。
 喘息やIBS、便秘薬(ファモチジンの副作用で便秘します)などで毎日たくさん漢方薬を服用しています。西洋薬も、ステロイドプレドニン5㎎/日)や、ファモチジン等も飲んでいて、息切れは強いものの、日常生活は不自由なく暮らしています。
 62年間生きてきて、出生時以外は入院したことがないのも、漢方のおかげかも知れません。本当に漢方と出会えて良かったと思っています。

 

 

喘息闘病記

【1991年・咳の始まり】
 私は1984年に大学を卒業し、横浜で2年半、旭川で5年間勤務していました。
1991年10月に浜頓別で開業して、すぐにひどい咳に悩まされるようになりました。
仕事で使う有機溶剤で咳き込むことがあるので、これが気道を刺激するのだろうと思いました。有機溶剤は、入れ歯の修理や仮歯を作るときに使用するアクリル樹脂のモノマーや、虫歯の充填に使うコンポジットレジンの前処理剤の溶剤に使用されるアセトンなどです。だから使わないわけにはいかないし、小さな分子でマスクは素通りするので我慢するしかありません。咳をしながら仕事をすると、患者さんは気になるでしょう。実際あるとき患者さんから「風邪をひいてしまったんですよね。この前、先生、咳してましたよね」と、まるで私から風邪を移されたと言わんばかりに言われたこともありました。それは説明すれば済むことですが、咳き込んで辛いので、なんとか咳を止めたいと思い、リン酸コデイン等の中枢性鎮咳薬を飲んでみましたが、全く効きません。西洋薬だけでなく、漢方薬もいろいろ試してみましたが、ほとんど効きませんでした。よく使用される麦門冬湯や麻杏甘石湯、小青竜湯は全く効かず、滋陰降火湯と桂枝加厚朴杏仁湯が、わずかに効いただけでした。咳以外に症状はなく、当時は喘息だという認識はなかったのですが、このときから喘息だったのかもわかりません。私は自覚は全くなかったのですが、小学生のときに親(父親が医師)から蓄膿症だと言われ、中学生のときに塩化リゾチームを長期服用したことがあるし、また、中学生の頃からハウスダスト等が原因のアレルギー鼻炎もありました。さらに、小学生の時から風邪をひくと1か月以上長く咳が残ることがしばしばありました。
そんなわけで子どもの時から喘息の素地があったのかも知れません。いや、すでに喘息が始まっていたのかもわかりません。
 内服薬がほとんど効かないので、のど飴で咳を抑えました。特にぺラックスイートというエフェドリンなどが入ってる医薬品の咳止めトローチは良く効きました。ただし、良く効いているのはトローチが口の中にある時だけです。運悪く喫煙者の患者さんの治療中にトローチが溶けてなくなると急に咳き込んでしまい、慌てて一旦治療を中断してトローチを口にいれて、また治療を始めるということもしょっちゅうありました。香水や化粧品、整髪料を付けている患者さんにも激しく反応しました。自家用車に積んでいる芳香剤が患者さんに付いてくるのでそれにも反応します。ちなみに、開業前の7年半の勤務医時代は咳に悩まされるなどということは全くありませんでした。開業と同時に患者さんが大勢来院され、超多忙だったという事情もありました。勤務医時代は横浜でも旭川でも、幸か不幸かとても患者さんが少なかったです。
咳が誘発されるのは、仕事以外でもタバコや野焼き等、煙には非常に敏感です。
バースデーケーキのローソクもダメです。
香水や整髪料、芳香剤、消毒用アルコール、塩素、オゾンなどの化学物質にも非常に敏感です。熱燗のアルコール蒸気にも反応し、熱燗が飲めないほどです。油性のサインペンでも咳が出るほど気道が過敏です。タバコ煙は紙に良く吸収され、そこから再放出されるため、患者さんからいただいた紙幣を入れる金庫からタバコ臭が発散するので夕方以降、金庫を住宅内に保管する場合は納戸などに置くようにしました。千円、5千円、1万円が硬貨になると助かるのにと思ったものです。

また、経理の書類が会計事務所から返送されると、書類がタバコ臭くなっていて激しく咳が出るので、返送後は1か月くらい車庫に置いてタバコ臭が抜けてから自室で保管するようにしました。
当時は郵便物でもタバコ臭いものがしばしば配達され、迅速にゴミ箱に入れたり、車庫に置いたりしたものです。一歩外へ出ると飲食店、金融機関、公共交通機関、ホテルなど、あらゆる場所がタバコ臭くて私には苦痛(咳の他、頭痛・肩こり・首こり、吐き気、目や喉の痛みなど)で、暮らし難い世の中でした。
そんなふうに、私にとってタバコはとても迷惑なものであり、1993年から禁煙医師連盟に参加して様々な反タバコ運動やタバコ病研究、禁煙サポート等の活動をしました。やがて禁煙医師連盟から分離するような形で禁煙学会が誕生し、さらにタバコフリー学会へも発展し、現在も組織的な活動を行っています。また、北海道の地元でも草の根運動を積極的に行い、2004年に仲間とともに大丸札幌店の飲食店全店を禁煙にしたのは全国の大丸8店舗中最初のことでした。特に問題がないと判断されたのかすぐに他の大丸7店舗も全面禁煙になりました。これが他の全国の商業施設の禁煙化に多少は貢献したのではないかと自負しています。2006年に新千歳空港の飲食店全店禁煙が実現できたのも画期的なことでした。当時、数十軒もの規模での同一建物内飲食店全店禁煙は、おそらく日本初だったでしょう。日本の空港で、喫煙所以外全面禁煙になったのは初めてでした。
地元の浜頓別では、校長以外の男性教職員が全員喫煙者ということもあって職員室が禁煙になってなかった浜頓別中学校を1993年に禁煙にしてもらいました。要望に訪れた際、校長から「良く来てくれました」と歓迎の言葉があったのですが、校長は禁煙にしたかったけど、外圧がなければ校長権限だけでは禁煙にできなかったようです。これらの活動を精力的に行った原動力は、自分自身が咳に悩んでいたことがとても大きいです。また、自分だけでなく、国民の多くの非喫煙者受動喫煙を強いられている現状を不条理に感じて改善したいという、いわば正義感からでした。ちなみに私は中学生のとき、当時の首相が田中角栄で、金権政治によって一部の政治家と大企業などが良い思いをして庶民が虐げられている現状を見せつけられて以来、社会のおかしなことを看過できない性格になっていました。

【1995年頃に漢方のど飴自作】
 何年たっても咳に悩まされるのは全く変わりません。咳止めのトローチは添加物などが気になることもあり、漢方のど飴を自作するようにしました。なんで思いついたかというと、漢方で有名な松田邦夫先生の講演で、風邪で喉が痛かったり咳が出るときは桔梗湯(エキス剤ならお湯で溶いて)を冷やして少しずつ口に含むようにすると良いし、また、アイスキューブにしても良いと聞いたのがきっかけです。ちなみに、桔梗湯は桔梗と甘草の2味で構成されていますが、甘草だけを使い、口腔粘膜の消炎にも応用できないかと思い、ツムラに甘草湯トローチを製品化してくれないかと話したところ、桔梗湯トローチを製品化していただけました。ただし、残念ながら今は製造中止になっています。
 せっかく桔梗湯トローチが製品化されたものの、ちょっと刺激があるし、麻黄などのエフォドリンを含む生薬も入れたいと思い、自分で作ることにしました。水あめの中に桔梗湯、麻杏甘石湯、参蘇飲、桂枝加厚朴杏仁湯などを入れて飴にしました。
これは効きました。ただし、やはり口に含んでいるときは効いたのですが、なくなると咳が出たもので、診療中はほとんど常時口に入れていました。

【咳喘息】
 この頃、日経メディカルや医事新報などで「咳喘息」という疾患が良く話題になっていました。喘息というと「喘鳴」「呼吸困難」「咳」が主症状として有名ですから(息切れや胸痛などもありますが、それはおいといて)咳だけが症状の私は喘息だとは思ってなかったので、きっと私の咳は咳喘息ではないかと思うようになりました。
浜頓別には呼吸器科の専門医もいないし、100㎞も離れた名寄などの病院を受診するのも大変だし、仕事が忙しいこともあって、自分でサルタノール(吸入β2刺激薬)などを取り寄せ、使用してみましたが、見事に全く効きません。咳だけだということで、またも自作漢方のど飴で咳をコントロールして我慢することにしました。
でも、なぜか電話での会話時に咳が激しく出るのです。そういう患者は滅多にいないようですが、ごく少数、同じ症状の人がいるそうです。本当に少数なので、専門医でも聞いたことがないドクターもいるらしいです。その珍現象(?)は、強弱の変化はあったものの、20年以上続きました。
電話が困難というのは、本当に辛いし不便でなりません。普通は電話をかけるような場合でも、FAXや手紙、あるいはメールを使うようにしました。でもその頃はまだインターネットが普及したばかりで、メールを使えない人も多かったです。

【転地療養と野焼き】
 釧路は喘息が多いそうです。その原因は霧や低温多湿にあるのではとの推測があります。実際は製紙工場の排煙が原因ではないかと今、私は推測しています。製紙工場がたくさんあり、かつてヘドロで有名になった富士市田子の浦でも喘息が多く、富士喘息と呼ばれる公害となっていました。王子製紙企業城下町である苫小牧でも喘息が多いそうです。(旭川の製紙工場はどうなのでしょう?) 
当時は気候が喘息に影響すると思い、浜頓別は釧路に似たような気候(海から湿った風が来る)ので、内陸に住めば咳は減るのではないかと期待をするようになりました。他の理由もあって、2008年に浜頓別を引き払い(診療所は居抜きで貸して)、旭川の旧宅に引っ越しました。(家族はすでに2002年に旭川の家に戻ってました)
すると、完全に咳が止まったわけではありませんが、かなり楽になりました。
しかし、旭川では医院経営などの問題もあり、1年半で良い話があった士別市に再移転をしました。士別市でも最初の数か月はさほど咳はなかったのですが、やがて再び咳に悩まされるにようになりました。
士別は農業地帯で野焼きが多く、秋には市街地もしばしば濃い野焼きの煙で覆われるほどであるのが咳の大きな原因ではないかと思いました。実際、咳がひどくなったのは秋の野焼きのシーズンからでした。

【2011年・初めて専門医受診】
 士別移転の翌年の2011年の春(震災の数日前)、学会で東京に行っていたら、ある呼吸器科のドクターが私の咳に気づき「咳ひどいんだね。北海道に呼吸器科の良い先生(当時深川で勤務されていたM先生のこと)がいるだろう」と言われました。この一言で20年も放置(セルフ治療)していた重い腰を、初めて上げる決心をしました。M先生の診察を受け、「咳喘息でしょうか?」と尋ねたら、「1秒率が下がっているので咳喘息というより、喘息状態と言えると思います」ということでした。
喘鳴も呼吸困難もないのに、本当の喘息ではないかというのは、そのときは釈然としない気持ちになりましたが、きっとすでに正真正銘の喘息(気管支が狭窄している)だったのでしょう。それに、海外では咳喘息という概念はなく、日本で咳喘息と言われている病態は喘息の範疇に入るそうなので、どのみちすでに喘息だったのでしょう。
喘息には息切れの症状がありますが、その頃は意識してなかったのですが、いつも山菜を採りに行く山に登る際、1980年代は途中で休むことなく一気に坂を登ることができたのに、90年代以降はだんだん息切れするようになってましたが、歳のせいだと思ってました。また、高校時代は10㎞の距離を自転車で25分かかって通学してましたが、旭川で仕事していた2009年(50歳)のときは同じ10㎞の距離を自転車で35分もかかって、「歳のせいにしてはずいぶん時間かかるなあ。変だなぁ」と思っていましたが、きっとこの頃から喘息になっていたためだろうと今になって思います。
で、M先生にはシムビコートというステロイドと気管支拡張剤の合剤である吸入薬を処方していただきました。しかし、2か月間吸入したけど咳は全く減りません。
「これが効かないなら難しい」とM先生に言われ、途方にくれました。
効かなかった理由は以下の4つ考えられると思います。
1、吸入時にむせてしまって気管支まで薬剤が十分入らなかった
2、量が少なかった(1日2吸入しました)
3、私の体質がステロイドに反応が悪い
4、職業性喘息なので、仕事での気道刺激物質からの曝露がある限り治らない
結局、2か月シムビコートを吸入しただけで諦め、再びのど飴に頼る生活を続けることにしてしまいました。

【2012年・和寒へ移転】
 士別の診療所は借り物で家賃が高いし、雪かきの雪を捨てる場所が乏しくて除雪が大変なことなど、いろいろ問題を抱えていたところ、和寒町に良い物件(空きになった歯科医院)が格安で売りに出されていたので移転することにしました。3年半で3回目の移転ということで、目まぐるしく引っ越しを繰り返しましたが、もちろん咳が良くなるのも期待しての話でした。そんなわけで士別は2年で離れ、2012年7月から和寒で診療することにしました。
引っ越しの際にエアコンの掃除をきっかけにひどい咳が2か月くらい続いたものの、その後は比較的、咳は少なく、士別にいたときよりは調子が良かったです。患者が少なく仕事での刺激物質曝露が少なかったからかも知れません。しかし、和寒も士別と同じ農業地帯で、特に秋の野焼きのシーズンはひどいことになります。やがてまた咳に悩まされる日も出るようになりました。
あるとき、日経メディカルにシングレア(モンテルカスト)の広告があり、何となく効きそうな気がしたので取り寄せて服用してみたところ、ある程度効果がありました。
その後、調子が悪くなったときだけ服用するようにし、和寒で診療していた7年間は、浜頓別や士別にいたときほどは咳は多くなく、電話の際の咳は減っていたので電話会話時の辛さは、かなり減っていました。
和寒では旭川時代ほどではないものの、意外と患者数が少なく、医院経営は楽ではなかったのですが、患者が増えても咳が多くなるだろうと思い、売り上げ増を図るよりも経費の節約を努めて生活資金をなんとか捻出しました。和寒の土地・建物の購入資金は親類から借り、2年で完済して借金はなくなり、やがて娘は大学を卒業し、従業員は衛生士が1人だけだし、個人年金も出始めたので売り上げが少なくても、なんとかやっていけるようになりました。だから少ない患者でほそぼそとやり、咳はひどくなることはあまりなく、どうにか咳と付き合ってやっていました。しかし2017年の秋は咳が多くなりました。稲刈り後の稲わらを燃やす野焼きが大きな原因だろうと思います。毎年10月は野焼きが盛大に行われます。電話も辛いほどだったので、またシングレアを飲みました。そこで2018年の10月は、野焼きができない雨の日以外はできるだけ、野焼きがひどくなる午後は患者予約を入れず、野焼きがひどくなりそうだと風向きによって午後から旭川剣淵町の温泉などへ疎開するようにしました。
また、役場総務課や町長には野焼き対策をお願いしました。総務課も町長も「野焼きしないよう広報はしている」とは言いますが、広報するだけで、それ以上踏み込んだ対策は何ら取られていないので、何も対策とってないと同じです。農家を敵にしたくないのでしょう。選挙にも影響するでしょうし。そこで、2019年の秋は1か月くらい診療を休んで空気のきれいな所で過ごすことを考えていました。

【異変その1・息苦しさ】
 2017年8月に関西へ行きました。長居でセレッソコンサドーレの試合を見るのと、奈良で講演を行うためでした。
猛暑で37度の大阪に着くと、少し息苦しさを感じました。良く「ストローで息を吸う感じ」という表現をする通りの息苦しさでした。気温が高いと空気密度が下がるので当然という考えもありますが、その程度の密度の違いで息苦しくなるのだろうか、納得が行きません。気温が30度上昇しても、空気密度は10%低下するだけです。その程度で息苦しくなるのなら、飛行機に乗った方が遥かに強く起こるはずで、釈然としません。暑いと気管支が異常を起こすのだろうか?
さらに2019年8月2日に旭川で33.3度の猛暑になった時も同じような経験をし、いずれも軽度で苦痛というほどではありませんでしたが、不思議に思いました。
 
【異変その2・異常な眠気】
 2019年の春頃から、午後にやたら眠くなりました。仕事をしているのなら眠くなりませんが、患者さんが途切れて座ってパソコンを見ていたり本を読んでいると、とても眠くなり、しかも疲労感を伴っていたので横になって眠りたくなったものの、それでは怠けているように思われるので頑張って机に向かっていたんですが、そのまま眠ってしまうことがしばしばありました。そのときは病気だという認識はなく、「疲れがたまっているのだろうか? でも仕事は忙しくないのだし、歳のせいでこんなに眠くなるはずもないし、変だなぁ・・」と思っていたのですが、今になって思うと喘息の悪化が原因に違いありません。2019年9月に呼吸困難と激しい息切れが起こってから半年間は毎日午後に強い眠気、それも強い疲労感を伴った不快な眠気に襲われたもので、やはりその眠気は病的だったのでしょう。今でも良く昼寝をします。

【異変その3・狭心症を疑う】
 2019年8月 はじめ、早朝に畑に出ると胸痛がして、狭心症ではないかと思いました。胸痛は朝だけだったし、動脈硬化してない自信があったので、冠攣縮性狭心症ではないだろうかと思ったりもしました。
お盆中に和寒町立病院へ行き(病院はお盆休みなし)ホルターで24時間心電図をやっても全く異常なく、循環器専門病院へ行って、負荷試験などで詳しく検査することを勧められましたが、行きたくなくて、9月に入ってもう一度ホルターを実施してもらうことにしました。(同じ月に2回の実施は健康保険で認められないので)
さらにもう一つ、異変を感じました。9月8日に畑でネギを掘り起こそうとすると、強く息切れし、思うように作業が出来なかったのです。こんな事は初めてで、疲れているのだろうか? それともやはり心臓に異常があるのだろうか? 冠攣縮性狭心症ではなくて動脈硬化から狭心症が起こっているのか? などと不安が増しました。
知人で喘息治療の専門家のドクター(以下、A医師)にメールで相談すると、喘息が原因かも知れないとのことでしたが、しかし喘鳴も呼吸困難もないし、喘息から来ているとは考えませんでした。

【運命の日・2019年9月12日】
 2019年9月12日は、忘れられない日です。この日(木曜日)は午前中外来診療をし、午後は往診が一軒あり、15時前に帰院したのですが、帰院時に、かつて経験したことのない強い息切れが起こったのです。往診に使う重い器具を車から下ろして診療室まで運ぶのに、肩で息をする状態で、いったいどうしたのだろうかと思いました。そのあとの診療は外来が1名いただけで、診療を終えるとスタッフ(衛生士)に事情を説明し、自宅ベッドで横になって休みました。夜になると、今度は息苦しくなりました。これで今までの体調の異変の原因は、すぐさま理解できました。胸痛や息切れの原因は狭心症ではなく喘息だったと瞬時に確信しました。呼吸困難が起こったというのに、狭心症でないとわかって安堵しました。呼吸困難が起こって喜ぶ人なんか、そう滅多にいないでしょう (笑
そこで、8年ぶりにM先生に診ていただこうと思い、M先生の病院のウェブサイトで診療日を調べました。火曜と木曜が外来とのこと。介護施設もあるとはいえ、外来がたったの週2日だけというのは腑に落ちなかったのですが、そうなると受診できるのは5日後の火曜日になります。
翌日金曜日は2回目のホルターの結果を聞きに町立病院へ行きました。予想通りまたも心臓には異常なし。やはり循環器専門クリニックへ行くようにとのことだったので「実は昔から咳がひどく、喘息ではないかと言われていたのですが、昨晩から息苦しくなったので、きっと喘息が原因だと思うので、循環器科よりも先に呼吸器科に行こうと思います。差し当たってシムビコートを処方して下さい」とお願いしました。
ちなみに、ドクターにも薬剤師にも「猫飼ってませんか?」と聞かれました。そんなに猫は喘息を起こすのかと驚きました。
60年生きていて50年くらいは猫と一緒に暮らしていましたが、前年からはいません。
次にM先生にメールをして、4日後に受診したいと連絡しました。M先生は8年前は深川の病院で診療していましたが、今は旭川の病院なので近くなって便利です。
ところが、M先生が主に勤務するクリニックはスパイロメーターやCTなどの設備がなく、それらの設備がある系列の大きなクリニックで月・水・金の午前だけM先生が診察するとのこと。(それがわかっていたら今日の午前受診できたのに)
それなら来週火曜ではなく月曜に受診できると思いきや、タイミング悪く、来週月曜は祝日(敬老の日)なので、5日後の水曜日に受診することになりましたその間、シムビコートの吸入と、以前使って残っていたシングレアの内服で、5日間しのぐことにしました。(後者は即効性ありませんが) また、ステロイドの内服が良いとA医師から聞き、デカドロンがあったので、金曜日から5日間、1日4㎎服用しました。あと、次女が以前、喘息で服用していた、気管支拡張剤のテオフィリンがあったので飲んでみましたが、手足がつるのと動悸の副作用が出たため少量服用しました。動悸はちょっと辛かったです。不眠やふらつきの副作用もあります。ひどくなった翌日に和寒から旭川まで運転し、翌々日にまた運転して和寒へ戻ったのですが、30分ちょっとの運転時間ですが、結構辛くて途中で休憩したほどでした。14日(土)は、札幌まで車を運転して厚別競技場でコンサドーレの試合を見て、さらに宮崎からお越しになるサポーター仲間と里塚霊園へ行って兄の墓参りをする予定でしたが中止しました。早くも15日には息苦しさは減りました。ただ、胸骨の下縁あたりが痛かったです。また、横になって休みたくなるようなだるさが強かったです。

【M先生の診察・2019年9月18日】
 ひどくなって6日後に待望のM先生に診ていただき、肺のレントゲンは全く異常がなく、スパイロメーターでは1秒率などが下がっているので、気管支喘息で間違いないでしょうとのことでした。吸入薬のシムビコートとステロイドプレドニン1日20㎎内服)を処方していただきました。

【仕事の始末】 
 仕事に関しては季節的要因もあって、患者さんが少なかったのはラッキーでした。
 ひどくなった日以降、新患はお断りし、翌日だけは予約してあった患者さんを頑張って診療し、翌週からは抜糸だけの簡単な治療の患者さん2名のみ行い、他の患者さんは2週間後と3週間後に知人のドクターに頼んで治療を終わらせました。幸いなことに前年に休業補償保険に加入していたので、安心して長期休診にすることができました。保険金は半年間給付になるので、とりあえず半年間、休診することにしました。

【わずか1週間後に旅行を強行・2019年9月19日】
 それほど大変な体だったのに、わずか7日後に飛行機に乗って東京へ行きました。
東京での学会ではA医師が参加されるので、聴診をしてさしあげますよというので診てもらいたかったのと、学会の前に当時東京に住んでいた次女と遊びに軽井沢などへ行く予定をしていたので、頑張って遊びに行きたかったのです。激しく息切れするような体で、しかも軽度とはいえ息苦しさがある状態だと、医学知識のない人なら心配で絶対に旅行をキャンセルするでしょう。しかし、酸素飽和度は98とか99あり、いくら気管支が狭くなっていても肺活量が多く、1秒量は年齢の割に多く、肺年齢はマイナス15歳の45歳であることなどから、酸素は十分運べているということや、喘鳴などで苦しいことはないので旅行は問題ないと判断しました。
息切れというのは、酸素不足にならないように酸素を多く消費しないようにしなさいという体の警告なので、息切れ自体は問題ないのです。おかげで楽しく簗場で鮎を食べたり、軽井沢で鯉料理を堪能したりできました。もっとも、駅や空港で歩くのは大変でした。さすがに横川の鉄道文化村はやめました。(目の前素通りしました)軽井沢から東京への電車移動で、上野と秋葉原で乗り換えして浅草橋のホテルへ行きましたが、秋葉原駅ではエレベータの場所が遠く、それよりはすぐそばの階段を歩いて上がって山手線から総武線へ乗り換えることにしたのですが、荷物持って階段上がるのは、激しく息切れしてとてもつらく、何度も何度も休みながらでした。浅草橋の駅からホテルまでの300メートルも、何度も休みながら歩きました。秋葉からタクシーにすれば良かったです。その晩の信濃町でのタバコフリー学会の総会には参加しましたが、翌日の学術大会の日は倦怠感が強く、ホテルで寝ていました。倦怠感が強かったのは「気管支が狭くなって酸素を十分取り込めない恐れがあるので寝ていなさい」という、体が発する警告なのでしょう。でも、夕方にはある程度元気になって、懇親会には参加しました。今思うと、本当に良く行ったと思います。学会の際、A医師に聴診してもらうと「呼吸音は聞こえます。本当にひどいと聞こえないです」と言われ、少し安心しました。帰宅した9月23日はそれまでよりも咳が多く出るようになりました。治療が効いてきた証拠なのかも知れません。でも、胸と背中がとても痛かったです。翌日の24日には息苦しさはなくなりました。ただ、深呼吸すると抵抗感(ストローで息を吸うような感じ)はまだありました。29日にはさらに咳が増えたのですが、しかし、息苦しさは完全になくなり、楽になりました。A医師から「ステロイドを飲み始めて2週間で楽になりますよ」と聞いていましたが、まさにその通り、ぴったり2週間でした。(胸痛などはまだ残っていたし、息切れもまだ強いので、完全に楽になったわけではなかったのですが)

【息切れ】
 息切れというものは、健常者であっても階段を登ったり、走るなどの運動で起こりますから、どういうものなのかは誰しもわかるでしょう。呼吸器疾患や心疾患などで息切れするのは、それが強く起こるのだというのも簡単に想像できるでしょう。でも、食事や入浴、排便でも息切れが起こるとは知りませんでした。入浴や排便はまだ理解できますが、食事で息切れするなんて、不思議です。消化管が激しく運動して息切れするのか? 食事は有酸素運動なのか。
なので、しばらくは腹八分目にして、なるべく強く息切れが起こらないようにしました。入浴も、最初の1か月は、入浴後には強い息切れが辛くて横に伏せてハアハア言ってました。数分で起き上がれるくらいには回復しますが。(起坐呼吸と反対?)
2か月目以降は横になるほどではないものの、しばらくは入浴後にハアハア言ってました。洗車はめちゃくちゃ息切れするのですが、体を洗うのも息切れするのです。 バブルバスに浸かるだけが良かったのか。

【内服ステロイド
 最初に内服ステロイドプレドニン)を処方していただいたときは1日 20㎎でした。1週間後に15㎎に減らしたのですが、減らして2日後に息切れや胸痛等が強くなったので、元の量に戻していただけないかとM医師に相談したところ、2週間25㎎に増量していただけました。
さすがに25㎎服用すると、5日後には、はっきりムーンフェイスが出ました。
(すでに最初の10日間で、自分ではわかる程度のムーンフェイスが出ていました)
その後1か月間20㎎、その次は2週間15㎎、その次は10㎎に減量という処方になりました。しかし、この20➝15➝10が、私の病態にとって早すぎたのか、後述しますが、12月初めに大牟田で友人とビール飲んだあと、博多のホテルに戻ってから胸部絞扼感などで2時間ほど辛かったです。
でも、せっかく10㎎まで減らしたので、また15㎎に戻すのには抵抗を感じ、10㎎の服用を続けました。それは結局失敗だったかも知れず、これも後述しますが、1月に胸部絞扼感や鎖骨の下あたりや肩甲骨のあたり、耳の横などが痛くなりました。
やはりまた15㎎に戻すべきかと思いましたが、M先生はそれに否定的で、鎮痛剤などで様子を見てはということで、4か月間、10㎎服用を続け、症状が落ち着いたことを確認した2020年3月12日から7.5㎎に減らすことにしました。ただ、いきなり7.5㎎にするのは不安があり、10日間8.75㎎にしてから7.5㎎にしました。
さらに4月21日には6.25㎎、5月2日には5㎎まで減らしたのですが、またも減量が早かったのか、あるいはPM2.5の高い日が多かったせいか、700L/minほどあったピークフローが620くらいまで下がってしまったので、6月27日から10㎎に戻しました。今度は当分減らさないようにと考え、5か月ちょっと、10㎎を続け、2020年12月9日から7.5㎎にしました。1年以上、ステロイドを飲み続けるとは想像していませんでした。(現在は服用3年目)

【シムビコート吸入】
 シムビコートという、ステロイドと気管支拡張剤(β2刺激薬)の合剤である吸入薬は、基本は1日2回で、適宜回数を増やすのですが、A医師から、1日8回まで増やして良いと聞きました。しかし、増やしても効果を実感できません。2011年にM先生に処方していただいたときも全く効かなかったので、自分には効かないのだろうか、あるいは吸入時にむせるので気管支まで届いてないのか、それとも基本的吸入法が間違っているのだろうかと疑問に思い、2019年9月21日に東京の学会会場でA医師にお会いした際、私がいつもやっている吸入を実演してみました。やはり吸い方が悪かったのです。吸ってすぐに声を出してはいけなく、数秒は息を止めることが大事だとか。これを指摘してもらっただけでも、頑張って東京へ行った甲斐があると思います。薬の添付文書でも、それほど詳しく吸入方法が書かれていません。喘息学会のサイトに詳しく載っているのを発見したのはその1年もあとでした。

【去痰】
 A医師から「痰を出すように」と言われたのですが、痰は出てないと返事すると、自覚がないだけで実際は痰は溜まっているとのことでした。てっきり、ひどく風邪をひいたときに口から出る黄色い痰を想像したのですが、知らずに気管から喉に出て飲み込んでいるようです。M先生に相談すると、やはり痰は溜まっているはずで、去痰剤を飲んでも良いけど、喘息が改善されれば自然と痰は減るから、必ずしも去痰剤は必要ないとのことでした。そこで「小青竜湯を飲んでも良いですか?」と尋ねたらOKということで、1か月くらい飲んでみました。

【すぐに2回目の旅行・2019年10月2日】
 呼吸困難が起こった1週間後に軽井沢と東京へ行ったわけですが、帰ってからわずか10日後に、またも飛行機に乗って関西へ行きました。本当はキャンセルしたいところでしたが、神戸と大阪で講演をするので頑張って行きました。ちなみに、そのインターバルの10日間のとき、畑のピーマンやナスなどを収穫するのは息切れして辛くて家内にやってもらったほど、ちょっと体を動かすだけで息切れして、さらに胸痛(胸部絞扼感)がするような体でした。
神戸空港に飛行機が着き、ボーディングブリッジを歩くわけですが、飛行機は小さい機体(B737)なので、ボーディングブリッジは登坂になります。わずかな上り坂なのに激しく息切れし、途中で休みながら歩きました。途中に椅子があれば良いのにと思いました。空港ビル出口で友人が車で迎えに来てくれましたが、そこに行くまで何度休んだか。 ようやくたどり着いた神戸の友人宅では3泊させていただきました。
2日目と3日目の午後に講演がありましたが、午前は友人宅で寝ていて英気を養いました。神戸講演が終わり、三宮からJRに乗り、友人宅最寄りの摂津本山駅で降りるところ、つい、吹田スタジアム最寄りの千里丘駅まで行ってしまいました。千里丘では大胆にもガンバサポに声をかけてタクシー相乗りでスタジアムへ行きました。(その時の体では観戦は無理だろうと9割がた諦めていたんですが)ところがスタジアムの手前でタクシーを降ろされ、上り坂を歩く羽目に。それならキックオフに間に合わなくても阪急山田駅からシャトルバスにするんだった。いや、初めから来ない方が良かったか。おまけに試合はコンサドーレのぼろ負け。

【咳が止まる】
 喘息治療を開始したら、一時的にかえって咳が多くなったと前述しましたが、1か月後の10月中旬、急に咳が出なくなりました。ステロイド治療の効果の他、小青竜湯を飲んだのも良かったのかも知れません。24時間、1粒たりとものど飴を口に含まないで済むのは、28年ぶりの快挙ではないかと思います。これは嬉しかったです。

【3回目の旅行・2019年10月17日】   呼吸困難が起こった1週間後と3週間後に無謀な(?)道外旅行したわけですが、さらに5週間後に7泊8日の九州旅行をやってのけたのです。(野焼きのシーズンなので、それを避けるためにもともと休みを沢山とってました)奄美と宮崎、都城の3か所で講演をするのと、熊本でのカントリー野外コンサートの日程に合わせるため、毎日宿泊場所が違うという超過密日程でしたが、各地で美味しいものを食べることもでき、行って良かったです。
https://www.consadole.net/kamome/monthly/202001?page=2
ただ、旭川空港から羽田経由で鹿児島空港へ行く際、四国上空で息苦しくなってきて不安になりましたが、まもなく高度を下げて気圧が上がって息苦しさは解消して、大事には至りませんでした。でも、奄美での講演会場はエレベータのない4階だったので辛かったです。帰りの福岡から千歳までの飛行機は大丈夫でした。

【すぐさま東京へ・2019年10月25日】
 九州旅行から帰った、たった2日後に東京(埼玉)へ行ったのです。いくら何でもそれは・・ と、かなり躊躇しました。
しかも、喘息が悪化してからの計画です。でも、コンサドーレルヴァンカップの決勝に出るなんて、一生に一度かもしれないし、這ってでも行かねばあとあとまで後悔すると思って行きました。旭川から長女と飛行機に乗り、東京で次女と合流して3人で行きました。川崎相手に負けて準優勝でしたが行って良かったです。2泊3日で特に問題なく帰宅しましたた。

【またもや東京へ・2019年11月1日】
 喘息がひどくなって1か月半の間に4回も道外旅行したわけですが、それでもまだ終わりません。ルヴァンカップから帰宅した5日後に某学会のため東京へ行きました。今になって思うとびっくりです。信じがたいけど日記を見ると本当にそうなってます。当時東十条に住んでいた次女と軽井沢(アウトレット)へ行き、温泉旅館宿泊。翌日は富岡製糸場の見学をして、夕方から東京で会議。次の日は学術総会。翌日、飛行機で旭川へ戻り、自宅で車の冬タイヤの交換をして浜頓別まで行って宿泊。(学会の会長が浜頓別で診療しているので同行した次第です)6日目にへとへとになって帰りました。緊張の連続で過敏性腸症候群による下痢のおまけまでありました。
伊能忠敬は喘息の体で全国を測量したそうだし、呼吸困難がないのならいつまでも安静にしていることはないと思いますが、でもちょっとハード過ぎますよね。このあと3週間はどこへも行ってません。(たったの3週間かって?)

【次は再度九州へ・2019年11月29日】
 喘息がひどくなって2か月半後に6回目の道外旅行をしました。大分で講演してほしいと教職員組合さんから呼ばれていたので、鳥栖でのコンサドーレの試合日程に合わせて行くことにしていたのです。喘息悪化前に決めていました。さらに長崎追加公演のおまけまでありました。博多2泊、大分1泊、鳥栖2泊の6日間、家内と旅をしました。 九州に着いた2日目に乗り鉄西鉄全線乗りました)のあと、大牟田の友人と食事したのですが、久しぶりに飲んだビールがたたったのか、博多のホテルに戻ったら胸部絞扼感が強くて2時間ほど辛かったです。ステロイド内服を1日15㎎から10㎎に減らして14日目だったので、その影響もあるかも知れません。それでそのときはプレドニン5㎎と柴陥湯を追加服用するのと、緊急時に備えて持参していたプロカテロール錠を飲みました。そんなことがあったものの、またも九州で美味しいものを食べ、サッカーも堪能でき、楽しい旅でした。ただ、帰宅後、しばらくすると今度は耳の近くが痛くなりました。関連痛なのでしょう。

マクロライド長期少量療法とシングレア】
 A医師から、マクロライド長期少量療法を勧められ、クラリスロマイシンが余っていたので2019年10月から12月にかけて2か月ほど服用してみました。これが効いたかどうか、実感することはできなかったものの、一定の効果があったと信じています。さらに継続するかどうか悩みましたが、同じ薬を飲み続けることに抵抗を感じ、その後はシングレア(モンテルカスト)を1か月ほど服用しました。

【スピリーバ(抗コリン薬)処方】
 2019年11~12月の九州旅行の前の受診の際、M先生は「スピリーバを吸入したことある?」と言いました。(経験ありませんでした)でも、そのときは尋ねただけで終わりました。九州旅行で辛い日もあったので、旅行から帰って最初の受診日に私のリクエストでスピリーバを処方していただきました。これは良く効きました。

【2020年1月の不調】
 1月中旬に、朝食後に強く胸部絞扼感が出て、食後15分くらいから10~20分間くらい辛いことが10日くらい続きました。かなり辛かったですが、家内に肩をもんでもらうなどで少し楽になりました。なるべく症状が強くならないよう、朝食の量を減らしました。内服ステロイドプレドニン1日10㎎)を増量すべきだったかも知れませんが、せっかく減らしたのをまた増やすのは避けたかったので、柴陥湯・吸入ステロイド・スピリーバの量(回数)を増やしたり、プロカテロールを服用するなどで様子をみました。1月末から旅行に行くのに、このままでは困ると心配しましたが、下旬にはほぼ解消できました。ただ、鎖骨の下あたりや耳の近くの圧痛は2~3か月続きました。

【プロカテロール錠】
 短時間作用性気管支拡張剤 (SABA)で、メプチンの名前で知られています。同じSABAであるサルタノール吸入薬を20年くらい前に使って効かなかったのですが、試しに錠剤を飲んでみると、ある程度効くようです。テオフィリンのような動悸が起こることはありませんが、手足がつる副作用があるので、普段はあまり飲みませんが、調子の悪いときに飲むようにしています。
こればっかりに頼ってステロイドをやめる(減らす)のは危険(最悪の場合、命にかかわる)なので気を付けながら服用しています。

ピークフローメーター
 2020年1月にA医師から、ピークフローメーターを買って毎日自分で計ってみると良いと言われました。安いものでは3000円くらいと、お手頃価格なので買おうと思いました。調べてみると1万6千円くらいで1秒量も計れるのがあるので、そちらにしました。さすがに1秒率も計れるのは9万円からなので手が出なかったです。
毎日測定してグラフ用紙に数値を記入するのは楽しい日課になりました。1秒量が計れると、肺年齢が計算できます。喘息がひどくなったときはマイナス15歳の45歳でした。呼吸困難で大変なときにマイナス15歳というのはどうなんだろうとは思いますが。(肺活量が多いので、気管支が細くなっていても1秒量が多く、肺年齢が低い計算になるのです)やがて肺年齢が29歳まで下がったときは嬉しかったです。
ただ、測定するたびに数値の変動が大きく、機器の精度に問題があるような気がして、もう少し値段が高くても、良い器械がないか探してみました。一生懸命インターネットで探すと、サンフランシスコにあるWishという通販会社から1万円ほどで1秒率も測定できるピークフローメーターを2020年9月に買いました。上手く測定値が出ないこともありますが、大きな故障はなく、ほぼ毎日使っています。PM2.5が高いときなど、数値が下がるので、そのような時は薬を増やしたり、中止していた薬を再開するなどしています。

【2020年1月~2月の伊豆旅行】
 国会図書館で調べ物をする以外、特段用事はなかったのですが、次女が3月いっぱいで東京から札幌に転勤になるので、最後の訪問ということで東京へ行き、伊豆旅行もしました。伊豆では温泉やグルメ(伊勢海老・金目鯛・アワビなど)を堪能し、メトロロマンスカーや引退間際の185系電車(踊り子号)に乗るなど、楽しかったです。この頃には空港や駅などで息切れして歩くのが辛いということはなかったです。もちろん歩きはゆっくりで、しばしば休みながらではありました。

新型コロナウイルスの影響】
 2020年2月にはだんだん国内で新型コロナウイルス感染者が見つかってきていました。前述の伊豆旅行でも、最終日の東京のホテルでは、エレベーターに乗ったら中国語を話す親子4人と一緒になり、父親は咳をするし、子どもは鼻をすすっていたので生きた心地がしませんでしたが、きっと台湾人だろうと思うことにしました。幸いその後、何ともなかったです。
また、3月7日には沖縄で講演をするため、家族親類5人で沖縄旅行をする予定でしたが、新型コロナの流行が始まってJリーグも中断する事態になり、残念なことに旅行はドタキャンになりました。(航空券はキャンセル料なしで払い戻していただけました。そんなコロナ禍になり、M先生の診察は延期になり、リモート処方ということになりました。そこで買ったばかりのピークフローメータが大いに役立ちました。
ただ、レントゲンでは喘息に関しては問題なかったものの、一部に影があって「年に一度はレントゲン撮ってみましょう」ということでしたが、これも延期になりました。
でも、2年くらいたった2021年8月に撮影していただき、影の大きさ等は不変であることを確認し、安心しました。

【薬のさらなる減量】
 2021年2月、額にニキビが多発しました。61歳で少しくらいニキビが出ても不思議でないと思いますが、数が多く、これは変だと思いました。また、少々女性化乳房になっているような気がするのです。
いずれもステロイドの影響ではないかという気がして、1日7.5㎎服用しているプレドニンを、さらに減らそうと考え、2021年5月23日から6.25㎎、8月26日から5㎎に減らしました。
また、シムビコートは効果を実感できないので、思い切って2021年5月から中止しました。中止してもピークフローや1秒量の数値は下がらなかったので、8月1日にはにスピリーバも一旦中止しました。
ただ、8月はPM2.5が高い日が多く、少しピークフローと1秒量が低下したので、同月末からスピリーバを再開しましたが、本来は1日2吸入のところ、1吸入だけにしています。